まーはっきり言ってたった1年なんて何かをどーこー言うには短すぎるのでしょうか。もしくは1年経って何もわからんようじゃオワってるんでしょうか。とにかく、30余年慣れ親しんだニッポンを離れて海外の会社に就職するというのはそれなりに大きな変化であったわけで、現在もまだ変化の最中かと思われますが、今思っている事を以下に。
総じて言えば、元気にうまくやってます。私がうまくやっているというよりは、嫁さんが辛抱して頑張ってくれています。慣れない異国の地で頑張ってくれて、感謝しています。ありがてん。
そして意外なことに、日本から離れた後の方が、日本にいる家族とのコミュニケーションが密になったように思います。こちらも、日本にいた時よりも多くの支援をいただいており、なんとも感謝しています。そしてもちろん、こちらの日本人の皆さんや同期にも良くしてもらって、本当に助かっています。なんだか、30過ぎて改めて自分の無力さを思い知るための転職だったような気がして、笑えます。ここに来るまで色んな努力をしてきました。それは間違いありません。そのことは誇りに思っていますが、同時にそれは思い上がりにも似たモノだったのでしょうか。30過ぎても誰かに支えられなきゃ生きていけないのなら、きっと死ぬまでそんな感じなんでしょう。いや、40過ぎたら違うのか。
「30なんて小僧だね」
うん、キングカズの言う通り。
では、将来的に安西副操縦士はパイロットとして日本に帰るのでしょうか。
その可能性は、どちらかというと低いかもしれません。多分、こっちの水のほうが合うんでしょうね。アジア界隈に移動する可能性はあるような気がしますが、まぁこれはもう僕の一存で決める事ではありませんから、なんとも。
それよりもちょっと興味深いことがあって、日本に帰ろっかなって頃には、もうパイロットにそれほど固執していない時かもしれません。これはまだ気持の整理がついていないというか、ハッキリ言えない事なんですけどね。この業界に身を置いて10年くらい経ったと思いますが、一番充実していたのはプロペラ機で初期訓練やってた10年前なんですよね。あのときを超える充実感は、日本で副操縦士として飛び始めた時にも、いまの会社で飛び始めた時にも、残念ながらやってこなかったんです。実は結構期待してたんです、新天地であんときみたいな気持が戻ってくるんじゃないかって。新しい国、会社、飛行機、、、こんだけ揃っていたのに、あんときのワクワクや充実感は来なかった。むしろ、今の会社に合格するまでの過程の方が100倍くらい燃えました笑。
どうなんですかね。人生なんてそうそういつも充実してるわけじゃないでしょうし。人間はあんときゃよかった症候群にかかりやすい生き物ですので、5年後くらいに今を振り返ってあんときゃよかったって言ってるのかもしれません。機長になる前から何言ってんのって話なようにも思います。まぁ、たった1回の人生でやることを一つに絞る必要なんてないんでしょうから、辞めたきゃ辞めりゃいいし、二足の草鞋履きたきゃ履けばいいんでしょうけど。
いずれにせよ、私の一存では決められないしそんときになってみないとわかりません。別に深刻に考えているワケでもなんでもなく、1年経ってこんなことをボーっと思ってるって感じです。
安西副操縦士のログブック | パイロット ブログ